NHKの朝ドラを何年かぶりに見ました。ほんの5分ほど。
最近、ほとんどテレビを見ることがないので、どんな番組をやっているのか全く知りません。
子どもたちの見る番組は、横に座って眺める事があるので、少しはわかりますが。
今日は、五時半頃、中国に行く夫を駅まで送っていったので、新聞を読む時間がたっぷりありました。
テレビ欄を見ると、純情きらりが最終週だとかで、大きく記事になっていました。
読むと、戦前から終戦直後まで、岡崎の八丁味噌の蔵元を舞台に繰り広げられてきた物語。
愛知県の三河出身のわたしには、岡崎はとても近い場所です。なんでもっと早く気が付かなかったんだろう。
そして、子どもたちを送り出して気が付いたら、8時25分。ほんの5分ほどしか見られませんでした。
それでも、わずかなセリフの中に、なつかしい三河弁が・・・。
三河弁の大きな特徴。「じゃん・だら・りん」が語尾につくのです。ほんのちょっとでてきました。
わたしの曾祖母の姉が、岡崎の能見町のバス停すぐ近くに住んでいたので、子どもの頃はよく遊びに行きました。
お祭りの時山車がでて、それを見に連れていってもらったり、舞台の上で子どもの踊りを見たり、楽しかった思いでのある場所です。
わたしが子どもの頃は、今ほど豊田市が繁栄していなかったので、買い物はほとんど、名古屋か岡崎まで行かなくてはなりませんでした。
岡崎までは、バスで1時間ほどかかるところに実家はあります。今でも、わたしの次男が、一人で実家に帰るときは、東岡崎からバスに乗っていきます。
純情きらりの主人公は、大正9年生まれの設定になっているそうです。わたしの父の、姉達よりほんの少し年上といったところでしょうか。
戦前、わたしの曽祖父母たちは、岡崎に住んでいたそうです。
岡崎に住んでいた頃の曽祖父は、地方政治家でもあり、鉄道会社の局長もしていたそうです。
わたしの父は、小学校が終わると、バスに乗り岡崎まで遊びに行っていたそうです。当時は、鉄道会社に勤めている人の家族は、バスが無料で乗れたようです。
わたしの実家は、ものすごく田舎にあるのですが、父も父の姉たちも、とてもモダンなハイカラ?な人たちです。
岡崎・名古屋によく遊びにいってたからかな?
ちょうど、純情きらりの時代に、わたしの父も同じ町で同じ空気を吸っていたんだと思うと、最初から見ていなかったことが悔やまれてなりません。
純情きらりの記事を読んで、大正時代の人が、ピアノの演奏なんて、と思ってしまいましたが、そう言えば大正生まれの叔母は、バイオリンを習ってたそうです。今でも、スズキのバイオリンが実家にはあるはずです。
戦争の前には、そういったお稽古事も広まりはじめていたんですね。
終戦後、曽祖父母は公職追放により、わたしの実家にもどってきました。
子どもの頃、いろんな人から聞いた話しの記憶が、少しづつよみがえってきます。
岡崎は、京都・鎌倉についで、神社仏閣の多いところだそうです。そして、茶道裏千家第11世家元・玄々斉宗室の出身地、奥殿陣屋があります。
玄々斉宗室は、奥殿陣屋の七代乗友の五男として生まれ、明治維新の西欧化の波が、日本古来の文化に襲いかかり、衰退の危機にあった茶道の復興に尽力し、近代茶道の祖と言われています。
今でも、お茶会でよく見られる、立礼(りゅうれい)式のお手前は、玄々斉宗室が明治時代に考案されたものです。
西三河は、お抹茶の産地でもあり、茶道とは深いつながりがあります。
岡崎には、徳川ゆかりの地など、見所がいっぱいです。ぜひ一度遊びにおいでん(三河弁)。
2006年09月25日
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地元なので初回から見ていますよ。西三河の岡崎が桜子の出身に設定されているので気合い入れ見てました。
しかし舞台は東京になり岡崎になりと行ったり来たりしたため興味薄れました。さらにケッタイナ西三河弁は異様なもので。
まもなくおしまい。やれやれです。
豊田の方でしょうか?ドラマには豊橋・豊根・蒲郡・はず・名古屋は出てきましたが、豊田・安城なぞはまったく出てきませんでしたね。
「純情きらり」そんなに宣伝してたんですか?
ちっとも知らなかった。ケッタイナ方言は、どこを舞台にしても、地元の人はそう思うみたいですね。
最近、我が実家も豊田市の仲間入りしました。あの辺りで、安城がでてこないのはなんで?
豊田は、当時はまだ挙母町? ただの田舎町でしょうね。